《縁 起》
聖武部(しょうむべ)の御宇(ぎょう)、足立庄司従二位宰相藤原正成(あだちしょうじじゅうにいさいしょうふじわらのまさしげ)と云うもの、不幸に一子なき事をなげきて、常に熊野権現を信じけるが、或夜不思議な霊夢を蒙り、それよりいく程もあらず、ひとりの女子をもうけたり。後にこの女を豊島左衛門尉清光(とよしまざえもんいきよみつ)へ嫁がせしが、舅姑の不遇なるをかなしみ、帰寧の道すがら、荒川へ投じて死したり。この時したがいたる侍女等、主の自水を見て、はかなき事におもいめぐらし、ともに十二人の女も、かの川へ沈みたりしと、かくて人をしてその死骸をたづぬるに、侍女の骸(むくろ)は、みな得しかど、愛女のみは見えざりし。庄司ことに悲しみにたえず、この十三人の菩提の為とて、自ら法師となりて、諸国の霊場を巡行せしが、或時兼ねてより信仰せる紀州熊野山へめぐり当りて、一宿せしに、その夜の霊夢に「我が社内に霊木あり、昼夜光を放てるをもて、光明木といふ、この一株を汝にあたへん。行基といふ権化の聖者、四民救世の為に、諸国巡行せり、汝が国に至るを待て、この聖者を請うて、六体の阿弥陀仏を彫りしめよ、この功力により女人等仏果を成ずること疑いなし、且末世の衆生この仏に巡礼せば、永く三界の苦域を離れ、速やかに九品の浄土に至るべし」と宣へり。
庄司夢覚めて、感涙にたえず敬礼して社内を尋るに、東の方の谷間に光明かくやくたる神木あり、庄司悦び、是こそ権現より授け給う所の霊木ならん、早く我国へ流着せよと祈誓して、我が名字記して海中へ押出せり。夫より巡礼了りて本国に帰り見れば、かの霊木当国へ流着し、日夜光を放ちければ里人奇異のおもいをなし居たるが、庄司喜躍して水中より取出し、かの行基が巡来をぞ得たりき。かくて幾ほどもあらせず、行基も此地へ到着ありしかば、ありつる事の始末を語りて、我家へ請待せり、ここに於て行基菩薩十七日の断食して、一心に弥陀仏に念じ給いしが、ただちに弥陀の影光ありて真像を模刻し給う。斯くて侍女の出生地に寺を建立し、阿弥陀仏の入仏せしめ菩提を弔う。